ついに、アイオアとのお別れの日が来た。こんな日が、こんなふうに訪れるとは、全く思っていなかった。
実際には、アイオアでの生活は、あまりにも苦しい生活だった。 特に最初の半年間は、言葉もわからず。文化もわからず。 僕は、旅行好きの父に連れられて、幼い頃からだいぶ色々なところへ旅行をしていて、普通の人よりは、英語もしゃべることができるし、外国の文化も普通の一人よりは、知っているつもりだった。 しかし、実際にこうして、外国で生活してみると、僕は知らないことばかりだった。まだ、何も知らないと言うことさえ、知っていなかったのだ。 しかし、アイオアに来て、一番大変だったのは、アメリカ合衆国という日本人の僕にとっての外国で生活が、大変というよりも、スーシティー アイオアという 小さなちいさな町での生活が、とても厳しかった。 すべてにおいて、まさに”カルチャーショック”だった。 日本の文化が、アメリカと違うというよりも、スーシティーには不思議な田舎ルールの様なものがたくさんあった。 そして、誰もが”スーシティー”を”田舎”と認めなかった。スーシティーの人間は、みんなここを”都会”と呼んでいた。当たり前のように、、、、。 なんと例えて良いのかわからないが、スーシティーは現代世界ではないかのようだ。まるで、20年くらい世界から立ち後れた様な町だ。 文化的にも、人間的にも、、、、しかし、アイオアの人々は、非常にのんびりとしていて、とても良い人たちばかりだった。 僕は、そんな温かい人たちに、いつも助けられ、生活して来ることができた。 その親切さは、”顧みを求めない優しさ” いつも、親切すぎるくらいにしてもらっていた。 アイオアでの生活は、厳しかったが、人生の中で非常に大きなものを、学んだように思う。 それに、本当に良い友達にも、出会うことができた。 きっと、彼らとはずっと良い仲でいることが、できるだろうしどこに行っても、忘れることはないだろう。 特に、ルームメートのジョーダン。彼には、色々な意味で助けられた。 精神的にも、物質できにも色々助けてくれた。そして、良き相談相手だった。僕は、いつも彼になんでも相談していた。 もしも、僕が東京から、NYへ直接行っていたら、こうしてこういう人々に、出会うこともできなかった、、、、、。 僕は、最初 特にはじめの半年間 本当に日本に帰りたくて、仕方なかった。 それでも、なんとかこうしてアメリカで、がんばって来れたのも、ジョーダンをはじめとして、スーシティーで出会った人々のおかげだ。 スーシティーで、出会った日本人の人々も、僕にとっても貴重な先輩たちだった。彼らは、いつでも僕に、先にアメリカに住んでいる先輩として、色々なアドバイスをしてくれた。 せっかく、出会ったのに、もうお別れ。 なんだか、とっても淋しいが、、、、 ”終わりは、始まり。””始まりは、終わり”だ。 きっと、これもまた、新たなる大きな、出会いへの一歩。 スーシティーのみんなは、僕を温かく送り出してくれた。 車いっぱいに、引っ越しの荷物と思い出を、積み込み。 僕は、ニューヨークへと出発した! ニューヨークへは、危険で長い旅路だ。 そして、新しい生活もまだ、どうなるかわからない。 しかし、きっと僕には、たくさんの応援してくれている人たちがいるから、今日もがんばることができる。 あたらしい生活へ 車のアクセルとゆっくりと踏み込み 進みだした。 ▼ありがとう。スーシティー アイオア。またいつの日か。
by photo_pppp
| 2006-06-12 10:52
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